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大阪地方裁判所 昭和33年(ヨ)2267号 判決 1959年6月16日

大阪市此花区西野下之町三八番地

債権者

大日本塗料株式会社

右代表者代表取締役

根岸信

右訴訟代理人弁護士

岡本拓

大阪市東成区今里町三丁目一四番地

債務者

大谷塗料株式会社

右代表者代表取締役

大谷正晴

右訴訟代理人弁護士

中村健太郎

右当事者間当庁昭和三三年(ヨ)第二二六七号商標権侵害禁止仮処分申請事件について、当裁判所は昭和三四年六月一六日終結した口頭弁論にもとずき、次の通り判決する。

主文

債権者の本件申請はこれを棄却する。

訴訟費用は債権者の負担とする。

事実

一、当事者双方の申立

債権者訴訟代理人は、債務者の染料、顔料、媒染料及び塗料の販売に当り、「ポリベスト」なる名称(POLIBESTなる文字を含む)を商標として用いてはならない、右商標を表示した染料、顔料、媒染料及び塗料の容器につき、債務者の占有を解いて、これを債権者の委任する大阪地方裁判所所属執行吏をして保管させる、との判決を求め、債務者訴訟代理人は、債権者の本件仮処分申請はこれを却下するとの判決を求めた。

二、申請の理由

(1)債権者は、その製造にかかる染料、顔料、媒染料、塗料(商標法施行規則第一五条第二類商品)の商標として専用するため、「ポリベスト」なる固有名詞及び「POLIBEST」なる文字につき、昭和三一年一二月一四日商標登録出願「出願番号昭和三一年第三七〇〇九号)し、昭和三二年五月一一日その出願公告がなされ(公告決定昭和三二年三月二八日)、同年八月一七日登録査定があり、同年九月五日その登録がなされ(登録番号第五〇七二八五号)、現に右商標を用いて右商品を販売している。

(2)ところが債務者は、現在債権者と同一の右商標を用いて債権者の登録にかかる商標の指定商品を販売しており、債権者の使用禁止申入れにも応じない。

(3)よつて債権者は債務者に対し、本件商標権にもとずく妨害排除請求の本案訴訟を提起せんとするものであるが、本案訴訟において確定勝訴判決を得るためには、少くとも数年を要し、その間債務者の右侵害行為により債権者の損害は日々に増加し、しかもその額の算定及び立証が極めて困難であるため、現在ただちに債務者の右侵害行為を禁止しなければ、債権者のこうむる損害の填補は事実上不可能となるのである。

三、債務者の債権者の主張に対する答弁と抗弁

(1)答  弁

債権者主張の二(1)は認める。但し債権者の本件登録は「POLIBEST」と横書にした欧文字の下に「ポリベスト」と横書片仮名文字を配したものである。二(2)は、同一商標でなく類似商標としてこれを認める。二(3)は争う。

(2)先使用権の抗弁

申請外大谷正晴は、昭和九年、債務者の現在地において、塗料の製造販売を個人営業としてはじめたが、昭和二五年一月一〇日、債務者会社を設立したものであつて、債務者は酒精ニス、塗料の製造販売を業とし、その取引先は大阪市内に三〇〇軒、近畿地方に二〇〇軒、四国九州並に北陸に五〇〇軒あり、その他東京、北海道等全国一円にその販売網を有し、その製品も多種、その生産も逐年増加して来たが、債務者は、昭和三〇年夏ごろから不飽和ポリエステル樹脂塗料の製造を企図し、その研究を重ねた結果、不飽和二重結合を持つ鎖状アルキットをスチレンモノマと混合した不飽和ポリエステル樹脂塗料の製造に成功し、その工業化の完成を見るに至つた。これは不溶不融性を有する熱硬化性塗膜を成型する特殊塗料でありあり、これを「ポリベスト」と命名し「ポリベスト」の標章を用いて、昭和三一年四月中旬、「ポリベスト塗料」のパンフレット二〇〇〇部を発行してこれを全国の取引先に頒布して、これが性状、品質、用途並びに使用法を了知させてその宣伝普及をはかり、同年五、六月ごろその工業生産に乗出し、同年六、七月ごろから市販をはじめ、同年七月宣伝用パンフレットを全国的に頒布し、この宣伝方法は継続的に行い、その結果「ポリベスト」の名声を高め、その需要は累増の一途をたどつたのであるが、債務者はこの新製品の販路、需要を更に飛躍的ならしめるため、同年九月一三日発行の塗料報知新聞に「ポリベスト」の宣伝広告を掲載し、じ来その発行毎にこれが広告を掲載し、またその間近畿、四国、九州一円に宣伝カーを巡行させて宣伝普及に努力し、同年一二月これが宣伝用カレンダーを取引先及び需要者に配布し、その結果標章「ポリベスト」の名声は全国に行きわたり、需要者間に広く認識せられるに至り、周知商標としての地位を確立するに至つた。ここにおいて業界新聞たる塗料報知新聞社はその発行にかかる一九五六年版(昭和三一年度版)塗料年鑑において「ポリベスト」商標が債務者の塗料商品名であることを登載し、また日本塗料商業連合会編輯にかかる昭和三二年四月三〇日発行(昭和三二年版)の塗料商品名集においても、債務者の特殊商品名ポリベストA、L、の下に、これが品質、用途特徴等の表示とともに、「ポリベスト」なる商標を登載したのであり、右塗料商品名集はその発行日は右述のように昭和三二年四月三〇日であるが、その集録の資料は昭和三一年末以前のものであることは、編輯所要日数を考慮すれば容易に理解せられる。以上のように債務者の「ポリベスト」なる商標は、債権者の昭和三一年一二月一四日登録出願以前において既に業界周知の商標たる地位を確立し、じ来債務者は、不正競争の意図なく善意にこれを使用して来たものであるから、商標法第九条にもとずき先使用権を有するのである。従つて債権者は債務者に対し本件商標使用差止請求権を有しない。

(3)登録無効の抗弁

右述の次第であるから、債権者の本件登録は、商標法第二条第一項第八号第一一号によつて、がん来許されないものであるのに、誤つて登録せられたものであるから、そもそも無効のものであり、この無効であることについては、訴訟上抗弁として主張し得るものであり、従つて債権者は債務者に対し、本件商標使用差止請求権を有しない。なお債務者は、昭和三二年九月ごろ、債権者の右登録を発見し、同年一〇月二三日、商標法第一六条にもとずき、特許庁に対し、無効審判の請求をなし、同庁昭和三二年審判第五五七号事件として目下審判中である。

四、右先使用権及び無効の各抗弁に対する債権者の答弁

(1)かりに債務者において、債権者の本件商標登録出願前からこの商標を使用していたとしても、その商標が商標法第九条にいわゆる取引者又は需要者の間に広く認識せられたものであることを否認する。広く認識されていると言い得るためには、即ち周知の程度は厳格に解すべきであつて、少くとも需要家の過半数又はこれに近い多数のものの認識を要するものであるところ、債務者の商標につき債権者の登録出願前にそのような多数者の間に認識せられていたものと言えない。即ち債権者主張の塗料報知新聞に広告せられたからと言つて、ただちにその商標が周知のものとなるいわれはなく、また債務者主張の塗料年鑑、塗料商品名集は債権者の本件商標登録出願の日たる昭和三一年一二月一四日前後に発行せられたものであるから、塗料業者に読まれたのはそれ以後のこととなるわけである。

(2)商標権は、所轄行政庁の登録査定と言う行政行為にもとずき、登録と言う行政行為によつて発生するものであり、これらの行政行為が形式上有効に存在する限り、商標権は有効な権利として存続し、司法裁判所は、これが法律所定の手続によつて取消され或は無効とせられない以上は、これを有効なものとして取扱わねばならない拘束を受けるものである。

五、疏  明(省略)

理由

一、債権者の商標登録と債務者の標章

債権者がその製造にかかる染料、顔料、媒染料、塗料(商標法施行規則第一五条第二類商品)の商標として専用するため、「ポリベスト」なる固有名詞及び「POLIBEST」なる文字につき、昭和三一年一二月一四日商標登録出願(出願番号昭和三一年第三七〇〇九号)し、昭和三二年五月一一日その出願公告がなされ(公告決定昭和三二年三月二八日)、同年八月一七日登録査定があり、同年九月五日その登録がなされ(登録番号第五〇七二八五号)、現に右商標を用いて右商品を販売していることについては、当事者間に争がない。しかし右登録商標は、成立に争のない疏甲第二号証によれば、「POLIBEST」と横書きした欧文字の下に、「ポリベスト」と横書きした片仮名文字を配したものであることが明らかである。

次に債務者が右登録商標と類似の標章(未登録である商標を標章と言う)を、債権者の登録にかかる指定商品に使用して販売していることは、債務者の自白するところである。そして右類似標章とは、成立に争のない疏乙第二号証及び債務者代表者本人尋問の結果により成立を認め得る疏乙第三号証並びに債務者の商品の写真であることに争のない検甲第一号証の一によれば「ポリベスト」と片仮名文字を横書きにしたものであることが明らかである。債権者は右標章を債権者の右登録商標と同一であると主張するけれども、右の通りであるから、それは同一ではなく、類似の程度に止まるものと言うべきである。

二、債務者の先使用権

債務者は、右債務者の類似標章につき、商標法第九条所定の先使用権ありと抗争する。思うに商標法第九条による先使用権を主張し得るためには、同一又は類似の商品につき、(1)、他人の登録商標の登録出願前から、(2)、取引者又は需要者の間において広く認識せられた同一又は類似の標章を、(3)、善意に継続使用している、ことを要件とするものであり、右(2)の周知の程度については、その当時の取引事情によつて具体的に判断すべく、右(3)の善意とは、要するに不正競争の意思のないことを意味するものと言うべきところ、成立に争のない疏乙第一号証の一、同第二号証、同第六号証の一ないし三、同第七号証の一ないし五、同第一六、一七号証の各一、二、疏甲第九八号証の一ないし五、前記疏乙第三号証、債務者代表者本人尋問の結果により真正に成立したものと認め得る疏乙第四号証の一ないし、同第五号証の一ないし五、同第八号証の一ないし一一七、同第九、第一〇、第一一、第一二号証の各一、二、同第一三、一四号証、検乙第一、二号証、証人尾合甚之助の証言により真正に成立したものと認める疏乙第一五号証及び証人橋本守平、同高橋文男、同久保梅次郎、同尾合甚之助、同竹内博(一部)の各証言並びに債務者代表者本人尋問の結果を綜合すると、訴外大谷正晴は昭和九年ごろ債務者会社肩書地において塗料の製造販売をはじめ、戦後法人組織とすることとし、昭和二五年一月一〇日債務者会社を設立し、じ来塗料、酒精ニスの製造販売等の事業をして現在に至つたものであるが、債務者は、昭和三〇年夏ごろから不飽和ポリエステル樹脂塗料の製造販売を企図し、その研究を重ねた結果、昭和三一年三月ごろ、不飽和二重結合を持つ鎖状アルキットをスチレンモノマと混合した不飽和ポリエステル樹脂塗料の製造並びに同年五月ごろその工業化に成功したのであるが、これは不溶不融の熱硬化性塗膜を成型する特殊塗料であり、これを「ポリベスト」と命名し、その試作品を「ポリベスト」と片仮名を横書にした標章を表したガリ版ずりの説明書とともに全国の著名取引先、塗装組合、工業研究所等に送り、同年七月一九日、弁理士吉見勇三を出願代理人として、特許庁に対し、指定商品を第二類として「POLIBEST」なる標章につき登録を出願し(但し、これについては、昭和三一年一一月一七日付をもつて、本願商標は登録第三六八二二一号商標「POLLY」と類似であつて、同一又は類似の商品に使用するものであるから、商標法第二条第一項第九号の規定によつて登録できないとの理由を示され、これに対し意見書を提出したが、昭和三二年五月八日付をもつて拒絶査定がなされた)、同月末ごろから市販に乗出し、同月中には、「ポリベスト」なる標章を表わしたパンフレット一五〇〇枚、石油缶バリ二〇〇枚、瓶バリ六種六〇〇〇枚、レッテル二四〇〇枚、同年八月にはレッテル四五〇〇枚を印刷し、パンフレットはこれを全国の取引先等に配布し、製品にはレッテル等を貼布してこれを広く国内に発送し、同年九月一三日、一〇月一三日の塗料報知新聞(塗装業界において広く読まれている)には右標章を表わした広告を掲載し、一〇月二八日には、松山市の聾唖授産場においてこれが製品の塗装説明指導講習会を開催し、またその間取引先において時にトラック、オートバイ等に白幕を張つてこれが宣伝をなし、一一月八日、右塗料報知新聞に右と同じ広告を掲載し、同月一三日右と同じパンフレット一〇〇〇枚を作成してそのころこれを配布し、同月二八日及び翌一二月一三日、右塗料報知新聞に更に右と同じ広告を掲載し、そのころ発行せられた右塗料報知新聞社発行の塗料年鑑昭和三一年度版には商品名ポリベストが掲載せられ、及びこれに右標章を表わした広告をもなし、日本塗料商業連合会発行の塗料商品名集昭和三二年度版(業界で広く購入されていて、昭和三二年一月ごろ発行)に登載する商品名「ポリベスト」の資料を右連合会に送り、またこれに右標章を表わした広告をなすこととし、或は昭和三二年度のカレンダー八〇〇枚位を右標章を記載して、そのころ各販売店に配布し、その後もなお引続き、債権者の右商標の登録出願を知らず、塗料船具新報に広告し、パンフレットを配布し、或は講習会を開催して宣伝に努めたこと、債権者が「ポリベスト」のカタログを作り各販売店に配布したのは昭和三二年七月、債権者が右商標をつけたポリベスト商品を売出したのは同年秋ごろからであつて、それ以前においてはこれが宣伝に努めず、むしろポリエステルパテ或はポリエステルクリヤー等等の商品名を使用していたこと、債務者は債権者が右商標を使用せんとしていること或はその商品に「ポリベスト」と言う名をつけたことを登録されるまで知らなかつたこと、及び債務者はじ来引続き現在に至るまで右標章を使用していること、が一応認められる。右認定に反する疏甲第七ないし第九七号証、同第九九ないし第一〇七号証の各記載及び証人竹内博、同山田仁三朗(二回)の各証言部分は信用できず、その他債権者の全疏明をもつてしても右認定を左右できない。右認定の事実から見ると、債務者の右類似標章の使用は、債権者の右商標の登録出願前から、取引者又は需要者の間において広く認識せられていたものであり、かつ債務者は不正競争の意思なく善意でこれが使用をなし、善意でこれが使用を継続しているものと一応言わざるを得ず、従つて債務者は商標法第九条のいわゆる先使用権を有し、債権者の右登録にかかわらずその使用を継続することができるものとせざるを得ない。債権者訴訟代理人は、かりに債務者において債権者の本件商標登録出願以前からこの商標を使用していたとしても、その商標が商標法第九条にいわゆる取引者又は需要者の間に広く認識されていると言い得るためには、その周知の程度は厳格に解すべく、少くとも需要家の過半数又はこれに近い多数のものの認識を要すると主張する。しかし右周知の程度を厳格に解しなければならないとか、計数的に限定しなければならないと言う理由はなく、それはいちじるしく広く認識されていることまでは必要とせず、それは相当広く認識されていると言う程度をもつて足るものと解すべきものである。

三、債務者の登録無効の抗弁について

債務者訴訟代理人は、債務者の本件登録は、商標法第二条第一項第八号第一一号により、がん来許されないものであるのに、誤つて登録せられたものであるから、そもそも無効のものであり、この無効のものであることについては、訴訟上抗弁として主張し得る、と主張する。そしてそのような学説もないわけではないけれども、しかし債権者主張のように、がん来商標権は、特許庁の登録査定及び登録という行政行為によつて発生するものであり、かりにそれが誤つて登録査定がなされ登録せられたものであつても、それが商標法に規定する手続等によつて取消され又は無効とせられるまでは、有効な権利として存続するものと解すべきであるから、債務者の右抗弁は採用し難い。

四、結  論

以上の通りであつて、債務者は、債権者の登録にかかわらず、その標章の使用を継続し得るものであり、債権者は債務者に対しては、その標章の使用を禁止する請求権を有しないものと一応言うべく、本件申請は失当であるからこれを棄却し、民訴法第八九条を適用して、主文の通り判決する。

大阪地方裁判所第一民事部

裁判官 山口幾次郎

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